初めての一学期、そして夏休み 〜大日向小学校体験記2〜

2019年10月29日

近谷純子 2019年8月執筆

異年齢交流

一学期を通して面白かったこと。それは、イエナプラン教育が大切にしている、異年齢交流。
まずはクラス編成からして異学年混成だ。1年生から3年生までの下学年クラスと、4年生から6年生までの上学年クラスがある。
それぞれのクラスの中で、1年生、4年生がいちばん小さな子、2年生、5年生が真ん中、3年生、6年生が最も大きい、となる。そして学年を進むごとに、この「小さい→真ん中→大きい」の立場を繰り返し経験するというしくみ。なるほど、よくできてるな、と説明会の時点で思っていた。

で、実際はというと。
子どもたちにはそんなサイクルも関係なく、学年の上下を吹っ飛ばしていた!!

4年生が1年生を可愛がり、6年生が3年生に呼び捨てにされ、追いかけられ。2年生が2年生を諭し。時には4年生が2年生に算数を教えていたり。休み時間中の体育館では、学年ごちゃまぜのサッカー。あるいは授業中、2、3、4年生でこそこそと教室から出て行ったり。私が実際に見聞きしただけでも、そんなあれこれがあった。
娘も毎朝、お昼ごはんのあと、必ずかわいい1年生コンビに引っ張っていかれ、小さい子ってなんであんなに元気なの~、ごはん食べてすぐはきつい~、とこぼしつつ、楽しんでいる。
そしてもちろん、そんなごちゃ混ぜは関係なく、すっくと一人でいる子、そっと一人でいる子もたくさん。

校長先生は一学期を通じてずっと、「子どもたちは今、自分を主張しながら、ぶつかり合いながら、一生懸命関係性を作っている。それを見守りたい」とおっしゃっていた。
おっしゃっていたけれど。
学校に足を運ぶたび、子どもってこんなにうるさいのね。
よくこれだけぎゃんぎゃん、がんがん言えるものね。
先生、よく耐えられるな。
と、何度も思ったのもまた事実。

そして、実にさまざまな子たちがいるにも関わらず、いや、さまざますぎるからか、いじめの気配は全くなかった。いじめるとかじゃなく、学年個性さまざまに、しょっちゅう衝突しているもよう。

(写真提供:佐久穂町地域おこし協力隊 山上雅子)

こちらは運動会。この日も下学年、上学年で入り混じって。

そして夏休み

一学期の最終日。聞いてはいたけれど、ほんとうに、通知表が渡されるでもなく、夏休みの宿題が示されることもなく。
それってどんな感じなんだろう? と思っていたけれど、なんということはなかった。ただ淡々と一学期が終わり、夏休みが始まった。一応、上履きは持って帰ってきた(ふだんの週末はしょっちゅう忘れる)。

通知表、なければないでなんともない。そういえばテストも、公立のときと同じテスト(単元が終わったらやるカラーの大きめの紙のテスト)を時々持って帰ってきていて、丸つけも直しも(一応)してあったけれど、点数欄はいつも空白。点数欄が空白だと、当然ながら点数には目がいかないわけで、何を見るかというと、ああこれはできたのね(けっこう前向きな気持ちでそう思える)、これはわからないのか(まあまあ平たい気持ちでそう思える)と、全体にさらっと目を通す感じ。心が乱れることがない。
通知表も同じだった。ないものはない。ないものに対して、心が乱れることもない。
通知表の評価ってなんだったんだろう。
何が「よくできる」「できる」「もう少し」だったのか。相対評価? 絶対評価? 子どもは、人は、一つひとつを積み重ね、一つひとつをこぼしつつ、それぞれに凸凹をかかえているものだ。
(なお、今後、先生との面談を通じて子どもの“評価”はある予定。その際に、3段階や5段階などの通知表ではなく、子どもたちの成長を文章で評価、記してくださるというように聞いている)

そして夏休み、宿題はない(ちなみに、ふだんも宿題はない)。
それで学習になんの心配もないと言えば嘘になるけれど……
でも、宿題がないので、宿題をめぐるストレスもないし、宿題が話題にもならない。これはもう、ほんとにほんとにほんとうに気持ちが楽。

で、息子は毎日のようにパソコンで全国の国道について検索し、Google Mapを見ては思いをめぐらせ、娘は気まぐれにいろんなタネを集めている。キュウリもナスもほじくって。
そんなそこそこ平和な、夏休み。

二学期は、どうなるだろう。二学期もまた、いろいろあるんだろうな。

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