藤川大祐×若新雄純「あたらしい教育」イベント報告レポート 〜第1回〜

2020年3月30日

2019年8月4日、「あたらしい教育」をテーマに、教育ベンチャーのSEKAISHAが、藤川大祐(千葉大学教育学部教授)×若新雄純(慶應義塾大学特任准教授)の講演+ワークショップを都内で開催いたしました。

イベントでは、これまでの教育を振り返り、正解へたどり着く“教育”から自分なりの納得をつくり出す“開発”へと変化するあたらしい教育について、藤川大祐先生と若新雄純さんに語っていただきました。ここでは、お二人による講演の内容を3回に渡ってお伝えします。

若新雄純の考える「あたらしい教育」

話し手:若新雄純(慶應義塾大学特任准教授)

人を「開発」するということ

僕は「開発」は子供達の学びの場を考える時に、とても大事なのではないかと思っているんですが、あまり学校教育の中では「開発」という概念は導入されていないですよね。なので、みなさんと議論する上でこのテーマは面白いんじゃないかと思い、今日、設定させていただいています。

僕がまだ学生だった頃、教育っていう言葉を辞書で調べたことがあったんですけど、これは今の教育の限界をうまく表しているなと思います。その辞書には、教育は「ある人間を望ましい姿に変化させるために心身両面に渡って、意図的・計画的に働きかける」って書かれていたんです。

一方で、土地などではなく、人に対する考え方の開発は「潜在している才能などを引き伸ばす、知恵や能力などを活用させる」と定義されているんですね。

一人一人の見えない才能を引き出す

整列する、前ならえ、右向け右、とかがいい例ですよね。そうやって、我々はみんなで規律ある人間になりましょうって、計画的に働きかけられてきた。

でも、そもそも、一人一人の持っているものが違えば将来の可能性も違うわけだから、全員を同じ方向に持って行こうっていうのが変な話なんです。みんなの望ましい姿、というのは必ずしも画一的に設定できる訳はないというか。

それに、どんな才能を持っているかはすぐには分からないし、潜在しているものを時間をかけて引き出していくことがとても大事だと思うんですね。あらかじめ見えているんじゃなくて、やっていく中でだんだんわかってくることを活かしていきましょうっていう考え方です。「人材開発」のように、キャリアを考える時には今よく開発という言葉は使われるようになってきていると思います。

これは学校の中でもそうですし、家庭の中でも、子供に対して、あなたはこうなった方が望ましいってことを、大人が言い切ることが果たしてできるのかと。もちろん立派になってほしいとか、才能を開花させてほしいっていう思いはあるとは思うんですけど、そもそも望ましい姿があるんだと決めてしまうのではなく、一人一人のまだ見えない才能を引き出してうまく活かしていくっていう、僕たちの考える『あたらしい教育』について、今日は話し合えたらなと思っています。

藤川大祐先生講演①:OECDと文科省の願い

話し手:藤川大祐(千葉大学教育学部教授)

開発はEducation?

私は教育学部の教員で教育学者なので、新しい教育を「開発」にしたらという若新さんのご提案に100%賛同する訳にもいかないんですけど(笑)、さっきのお話っていうのは非常によくわかります。

教育は英語でいうとeducationですよね。educationはラテン語が語源なんですけど、元々の意味は「人の中にある才能を引き出す」です。そうするとさっきの若新さんの定義だと、実はeducationは開発に近いんですよ。それが日本で教育がeducationの訳語として用いられて、日本的なニュアンスがついた結果、先ほどの話のように「望ましい姿に近づける」という意味にすり替わっていったんです。だから、元々は若新さんの言っている「開発」が「education」なんです。

現在の学校教育をめぐる状況

今、学校教育を巡る状況がどうなっているかと申しますと、学習指導要領っていう小学校・中学校・高校の教育の中身を決める国の決まりが最近変わりまして。小学校では来年度から実施、中学・高校では1年ずつ遅れて、新しいものになっていきます。小学校は英語が教科になるとか、道徳が2年前から教科になっているとか、プログラミング教育が始まるとか、結構目新しく、小学校の先生はどうしたらいいか分からないという感じです。

私も校長を勤める中学校では、そんなに大きな変化はないんですが、小学校から来た新しい流れが、中学校・高校へと変わっていきます。また、高校が大変なのは高大接続改革といって、今の高校2年生が初めて大学を受験するときにセンター試験がなくなって、新しい大学入試制度になるんですね、これがまだよくわからないんですよ。一応枠組みはあるんですが、あと1年しかないのに、どうするんだって言うのは具体的によく分かっていない。

センター試験をやめて、共通テストにして記述式問題をつけるんですけど、全国一律で記述式問題を誰がどうやって採点するのかはまだはっきりしてないんですね、これはちょっと大変です。大変ですが、今までのように、答えが決まってることができればいいやじゃなくて、本当に使えるような能力を持っている人が大学で学べるようにしたいって言うのが文科省の願いではあるんですね。ただそれを具体的にどうするかがすごく難しい。

「あたらしい教育」を考えるためのキーワード

高大接続改革…

主体的、対話的で深い学び
社会に開かれた教育課程
カリキュラム・マネジメント、AI、グローバル社会、Society

背景には、国際的な議論
OECD=経済協力開発機構

今日お話ししたいキーワードは、このように色々ありまして(資料1)。

まず主体的・対話的で深い学びって言いますけど、主体的って難しいですよね。対話的って言うのは「人と一緒に対話をしながら」、深い学びは「ただ答えを知ってるんじゃなくて、より深く考えよう」ってくらいのニュアンスで、とりあえず捉えておいてください。

それから「社会に開かれた教育課程」って言うのもキーワードであって。学校だけではキャリア教育は限界がありますよね。働く場について学ぶなら、実際にいろんな人と接して、話す必要は出てくると思います。

カリキュラム・マネジメントって言うのもキーワードです。学校が子供達の状況とか地域の特徴に合わせて、カリキュラム(教育課程)、プログラムを変えていきましょうねっていうものですね。これについて文科省で議論した人に、「マネジメントってどういうことなんですか?」って聞いたら「やりくりです」って言われましたね。やりくりして、その学校ならではのベストのカリキュラムを作ってくれということでした。まあひどい話だなって思いますけどね。

AIは、つまり人口知能ですね。これまで人間のやっていたことを人工知能がどんどんやるようになっていく、では教育はどうするんだ、みたいな話はよく出てきます。

それからグローバル社会、よく出てきます。日本国内に住んでいながら外国にルーツを持つ方はたくさんいらっしゃいますけど、こういった方々がますます増えていく。また日本で育った方が外国に出ていくこともある。こういう社会で教育はどういう風になっていくのか。単純に英語ができればいいって話だけじゃないので、グローバル化は大きなテーマです。

Society 5.0ってご存知です?最近内閣府とかが言ってるんですけど、昔の狩りの時代が1.0で、農業するのが2.0で、工業社会が3.0で、情報社会が4.0で、その次にAIとか最新の情報技術が出てきてスマートに物事が進む時代の超スマート社会をSociety 5.0 って国は言ってます。Society5.0のプロモーション動画とか見てると、ドローンが荷物運ぶとか、国が考えているのはなそういう感じらしいです。

で、間も無くですね、文科省が全国の教育系の大学にsociety5.0に対応したプログラムを出せって言ってくるみたいです。AIの授業とかしなきゃいけないんですかね。Society5.0っていうのが国では急激に注目されているキーワードです。

こんなことが今色々と議論されていて、少なくとも理念の部分では、今学校教育って変わりつつあるんです。

で、この変化の背景には、OECD経済協力開発機構っていう国際組織での議論があります。世界の主要な国はみんな入ってて、経済をよくするために何ができるかってことを議論してるんですが、日本はその議論をよく取り入れるという状況がありますので、そのOECDの議論を確認しておきたいと思います。これ見ると、若新さんのおっしゃるところの「開発」っぽいんですよ。

(資料1 作成:藤川大祐)

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