「当たり前」なんて存在しない、だから自分から歩み寄る 〜世界6カ国育ちのコピーライター キリーロバ・ナージャさん〜

2020年7月2日

「グローバル」と聞いて、何を思い浮かべますか? 単純に「語学」を指すわけでもなければ、世界がインターネットでつながることでもなく、もっと深くて複雑な意味があるような……。それだけ「グローバル」という言葉は、説明しづらいあいまいさを含んでいます。

ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、日本と、世界6カ国の小中学校を渡り歩いてきたコピーライターのキリーロバ・ナージャさんは、「グローバルとは、自分のことを理解して、それを相手に伝えた上で相手が何者かを知り、いかに歩み寄れるかを探り合うこと」だと語ります。

本インタビューでは、ナージャさん自身のこれまでの経験を通して、いまだからこそ考えたい「グローバル」の本当の意味、そして世界で活躍できる子どもを育てるために大切なことを伺います。

キリーロバ・ナージャさん/株式会社電通ビジネスD&A局 Bチーム クリエーティブ・ディレクター

ソ連レニングラード(当時)に生まれ、物理学者の母、数学者の父とともに、ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、日本と世界6カ国で成長期を過ごす。
電通に入社後、コピーライターとして活躍し、2015年には世界コピーライターランキング1位に。世界3大広告賞の審査員を務めた経験を持つ。
現在はさまざまな「B面」を持った社員が集まる電通Bチームのクリエーティブディレクターとして、国内外のプロジェクトを幅広く担当。「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」のメンバー。

学校は、自分の知らないものを体験できるところ

ーーー半年から1年ごとに違う国の学校へ転校するナージャさんにとって、学校はどのような存在でしたか?

1年生のときに初めて入学したロシアの学校では、ほかの子どもと同じように友達と遊んだり、勉強したり、コミュニティがありました。でも、転校し始めると常に「転校生」として奇異(きい)な目で見られるし、言語はまったく分からないし、文化も全然違うので、最初のころは戸惑っていましたね。結局、できることが何もないんです。

でも、そういった環境の中で、私が人見知りだったことはけっこう良かったなと思っています。いまでも人見知りですけど、昔はもっとだったんです。

どういうことかというと、転校するたびに「ここではどういうことをやっているんだろう、どういう子がいるんだろう」と、新しい環境を観察しまくってたんです。その場を探検したり、リサーチしたりすることを繰り返していました。「ここで活躍しなきゃ」という思いはあまりなくて、ゲームで新しいステージに行くときのような、ワクワク4割、ドキドキ6割くらいの感覚でした。

勉強は、母が学校のあとで教えてくれていたので切羽詰まることはなかったんですよね。だから、学校にはとりあえず行ってどんなところかを見て、どうやってサバイブする(生き残る)か考えるという意識が強かったです。私にもできそうなことがあると、「私、これ分かります!」って自分からアピールすることもできました。そうやって友達もできて、遊んでいるうちに言葉も覚えていきましたね。

そうして周りと同じように授業や行事に参加できるようになるんですけど、転校すると毎回ゼロから始まるわけです。最初はけっこう辛かったですけど、そうしているうちに、私にとって学校は「自分の知らないものを体験できるところ」という認識に変わっていきました。

おもしろくないのは自分のせい?

ーーーナージャさんが、周りの環境に対してワクワクし続けられた理由は、何だったのでしょうか?

もしかしたら、小学1年生のときの経験が影響しているかもしれません。

学校に入ると、掛け算を覚えたりスペルを覚えたり、覚えなきゃいけないルールみたいなものがたくさんありますが、それって正直あんまり楽しくはないですよね。

そのときに、当時の先生が「いま勉強していることは、プロの学者たちが長い歳月をかけて作ってきたもので、彼らはこれをめちゃくちゃおもしろがってやってたんだよ」みたいなことを言ったんですよ。それに、算数の授業に来た数学者が「1+1=2」がどれだけすごいのかを、超ハイテンションで教えてくれたこともありました。

イギリスに住んでいた頃のナージャさん

それで、「私がつまんないと思ったものに、こんなにワクワクする大人がいるんだ!」と気がついちゃったんですよ。たしかに、自分の仕事が大好きな大人たちに話を聞くと、皆すごく生き生きしてますよね。だから「これをおもしろくないと思うのは、もしかしておもしろがるポイントが見つかってないだけなのかも」と思ったんです。

あとは、1年経ったら環境がリセットされるのも大きかったですね。どれだけ学校が辛くても期限が決まっているので。人間関係がまったくダメだったとしても1年後にはその人たちとはお別れだから、「もうちょっとがんばれば大丈夫」と思うことができたんです。もちろん、友達と仲良くなれたところで転校するのは寂しかったけど、「この環境はいまだけ」と思えたからこそ、ポジティブになれたのかもしれません。

ーーー良くも悪くも、ナージャさんに大きな影響を与えたんですね。 

そう。本当に良い面も悪い面もあるんですけど、だからこそ、特に小学生のときはある意味ゲーム感覚でした。

母親のポジティブな洗脳

ーーー転校を繰り返すことを、ご両親は心配しなかったのでしょうか?

当時は、「あなたが好きなことは学校に行ったらできるんでしょ? だったら行けばいいじゃん」みたいなことをすごく言われていたんですよね。つまり、うちの母親には「子どもが不登校になるかもしれない」という発想がなかったんですよ。

私の母は物理学者なんですけど、そのころは特に男社会で、男100人中、女1人みたいなところにいたんです。子どものころに「それでも物理学者をやるのはなんで?」と聞いたことがあるんですけど、母は「私が好きなことを学べるのが、たまたまそういう環境だっただけ。私はこれが好きだからこれをやる、以上!」みたいに言っていて、それをすごく覚えてます。「周りの人とか環境とか、ちょっとした障害なんてどうってことない。だって、物理学者をやるチャンスはそこにしかないんだから、やりたい気持ちがあればいいだけの話でしょ」と。だから、何か言い訳をしてやりたいことをやらないのは、母親から見ると不思議なことだったんです。

その影響で私も「自分が本気でやろうと思えばできないことはない」という考えを持っていました。もちろん、努力は人の10倍しなきゃいけないですけど、変に言い訳をすることはなかったです。母に「あなたは外国人だから〇〇」とか「女の子だから〇〇」というふうに言われたことも、一切なかったんですよ。

ーーー素敵なお母様ですね。

うちの家族にとっては、特殊な環境にいることが普通だったんです。日本に来たら、もちろん家族全員日本語が分からないから、「大変だね、何も分かんないね!」と皆で笑っていましたし、大変なことがあっても知恵を絞ればなんとかなる(ならないわけがない)みたいなノリがあったから、ちょっとしたことでへこたれることはなかったです。

母が私を現地校に入れたのも、言葉が通じないなら学べばいいという考えがあったからだと思うんです。「転校して大変でしょ、友達できた?」とか「言語できないけど大丈夫?」みたいなことを良い意味で一度も聞かれたことがないんです。

たぶん困れば相談には乗ってくれるけど、母にある意味ポジティブに洗脳されちゃったから、学校に行かないという選択肢があることにすら気づかなかったし、自分がいまいる状況に対して何も疑問に思わなかったんですよね。自分はほかの人にはできない経験をしているという自覚もありました。

いろんな先生と出会う中で、自分のスタンスができた

ーーー「普通じゃないことが当たり前」と考えるご両親とは違い、学校の先生はナージャさんをどう扱っていいか分からなかったようですね。

そうですね。私が転校するたびに、先生は毎回違うことを言うんですよ。例えば、筆記用具として鉛筆を使っただけで、「鉛筆なんて、絵か下書きをするためのものでしょ、ペンを使いなさい」って言われるし、次の転校先では「この学校では鉛筆を使うことが決まりだから」と言われ、最初は振り回されていました。

でも、そうやって同じような経験を繰り返していると、途中から「皆が違うことを言うってことは、正解はないんだな」と思うようになったんです。つまり、「この人、別にいじわるしようとしてるわけじゃなくて、私にどう接したらいいか分からないだけなんだな」というのが分かってくるんですよ。そうすると辛さが消えていくし、「この人はこういう考え方だけど、違う人はこういう考え方だったし、私はこう思うんだよね」と自分のスタンスができていきました。これだけは譲れないということと、妥協してもいいことが整理できるようになるんです。

例えば、“発言することが正しい”という価値観が強い国だと、いくら人見知りでもしゃべることを強制されます。でも、「それはその国の思想だから、単に自分に合わない環境というだけなんだ」と考えることができるんですよね。いまの環境が合わなければ違うところに行けばいいと知ったことで、抜け道ができて気が楽になりました。

お互いにヒントを出して、歩み寄る

そうやって整理していくと「合わないのはしょうがない、じゃあどうすれば変わるんだろう」と考えるようになっていきました。

例えば、日本の小学校にいたときに、先生が本当に困って「席にさえ座っていれば、テストを受けなくてもいいよ」みたいなことを言われたことがあったんですよ。たしかに、言語がまったく通じないから、どうにもならないですよね。

ーーーたしかに、黙っていることしかできませんね。

そうそう。最初は名前すらも書けなかったので、仕方なく座って黙ってたんです。でも途中から「テストで座ってるだけって、良くないんじゃないかな」と思って、名前を練習し始めました。そうすると先生が「この子、意外とそういうことをがんばってやるんだ」と感じてくれて、歩み寄ることができたんです。

そうやって、妥協できない部分はありつつも、どうすれば歩み寄れるかをずっと考えてました。その人の好き嫌いやキャラクターが分かれば、周りの人もどう接すればいいか分かるけど、ただ黙っているだけではアプローチのしようがないんですよね。だから、しゃべれないなりに自分のことをちょっとずつ表明していくと、先生も「なるほど、それはこの学校ではダメだと思うけど、まぁ分かった」みたいな感じになって、ちょっとだけ歩み寄れるんです。要は、どの距離感が良いのかを測っていた感じですね。全部を拒否してしまうと、何も生まれないじゃないですか。

もちろん本当に分からない人もいて、そういう人はずっと分からないままでしたけど、やんわりでもヒントを出していくことがお互いのために大事ですね。

取材・文/下田 和

上部へスクロール