世田谷区桜丘中学校10年間の歩み 〜日本一自由な公立中学をつくった西郷孝彦校長 退任直前インタビュー ③〜

2020年4月8日

(前回からの続き)

思いを引き継いでいくために

学校を変えるのは校長の役割

―――こんなに生徒に、保護者に、地域に愛された校長先生がいなくなってしまったら、これから中学生になる子供たちは、どこの学校に行けばいいんでしょう。

「うーん、どうすればいいんでしょうね…。それはぼくにもわからない。でも、もし自分の学校が嫌だったら、学校に行かなくていいと思う。嫌いな学校に行く必要はないと思う。今はね、不登校の数がすごいんですよ。先日聞いた関西の学校の話では、全校生徒500人の中学校で、なんと約1割の50人が不登校だというんです」 

「でもそれはそれでいいと思うのね。学校無理して行って、結果的に自殺してしまうくらいなら、行かないほうがいいんですよ。そういう『学校へ行かない子たちをどうしようか』と考えたとき、フリースクールのような、『帰る場所』があればいいと思うのね。こんな時代なのに、横並びで個性を認めようとしないような膠着(こうちゃく)した学校を変えるのも大変なので、その代替・オルタネイティブの学校がたくさんできればいいなと思っているんです」

―――ということは、各校長が個性的でなければ、個性を大事にする桜丘中学校のような学校はできないということですか。逆に、子供たちが変えたい、と望んで学校を変える運動をしてみたら、学校は『このままではまずい』と気づくのでは…。

「それはね、難しいの。この桜丘中学校は『この自由は認めるよ』とぼくが言うから変えられたのであって、学生運動のときみたいに、子供たちが率先して学校を変えるのは難しい。頭の固い校長がトップに立つ学校の文化の中では、『子どもの権利条約』にうたわれているような、自由に意見を表したり、団体を作ったりという権利は全く守られていないから」 

どんどん飛び出しなさい、日本にこだわる必要はない

―――子供たちで学校を変えることができないのであれば、この先どうすればいいのでしょうか。

「もし学校や、おうちもそうだけど、極端に言えば日本が嫌だったら、どんどん海外に飛び出しなさい。外に行きなさい、と伝えたい。こだわる必要はない。自分の家にこだわる必要もないし、通わなければならない学校にこだわる必要もないし、日本にこだわる必要もない。どんどん外に出て行って。

怖いけどね、外に出ることは。でも、そのほうがチャンスはある。うちの生徒にも言ってるの。『日本はいつか滅びる国だから、それを前提に考えなさい。どう見たってどんどん人口は減っているし、何が必要かを考えなさい』って。だから生徒はみんな語学を一生懸命勉強してる。子供たちは、直感的に危機感を持っていて、子供たちなりに『語学力が必要』という結論が出たようだよ。国際色豊かな高校も増えてきたし、留学したいと言っている子もたくさんいるよ」

保護者には“小さな大人”ではなく”子供”として扱ってほしい

―――子供の個性や価値観を育てていくため、保護者としては子供にどう関わっていけばよいのでしょうか。

「子供は親の所有物ではないのだから、親とは別の人格として接してあげてほしいですね。

そしてもうひとつ、中学生を“小さな大人”としてではなくて、“子供”として扱ってほしいんです。子供の成長には発達段階があるのだから、ある時点でできないことがあって当たり前です。年齢不相応に無理をさせちゃいけない。ギャングエイジや反抗期…そういう発達段階を踏まえて見てあげて欲しい。暴れるのがいいことではないけれど、でもそれはそれで正常だという目で見てあげること。親離れの準備なのだととらえてあげてほしいのです。なんでもかんでも、『こうしなさい』『ああしなさい』と叱るのは違います。

あと、ぼくからのお願いは、…せめて家庭を安心できるところにしてあげてください。つらいことがあっても、家に帰れば安心できるという場所にしてあげてほしい。とても難しいですけれどね」

いろんなことをやってこそ、才能は見つかる

―――子供たちが才能を見つけるために保護者ができることは、何でしょうか。

「『子供のやりたいことをすべてやらせること』です。途中で投げ出してもいい。

なにしろ、やりたいことをやらせる。小中学生という年代では、子供だけの力ではできないことがたくさんあるんです。でも、大人がちょっと手伝ってあげるとできることもある。失敗してもいいからやらせてあげる。途中で投げ出したからといって叱らない。自分に合っていないことなら、子供たちはまた次を見つけるから…だって人間、絶対これをやりますと宣言しても、無理なものは無理でしょう。いろんなことをやってみて、やっと子供は自分の才能を見つけるんだ。やってみなくちゃ見つからないよ」

―――でも、保護者から見て「スポーツでも音楽でも、この子にはこれが向いてるな」と思うことを集中してやらせたほうが、最終的にものになるような気がしますけれど…。

「親が『この子にはこんな才能がある』と勝手に決めてさ、ちょっといいきっかけがあると暴走しちゃうんだよ! 野球でヒットを打つと、『プロになれる』と思って野球ばかりやらせちゃう。音楽、楽器も同じね。

そうじゃなくて、やりたいことをサポートしてあげる。楽器がやりたいと言ったら、『楽器はそろえてあげるから、あとは自分でやってみなさい』くらいでもいい。

たったひとつのことをやらせて、うまくいくこともあると思う。でも、ぼくに言わせれば、その子はたまたまうまくいった。その陰には、失敗しているケースが山のようにあると思う。とことんやらせて成功した人がひとりいるとしたら、とことんやらせて失敗した人が何千人といる。野球だって、プロになれるのはひとにぎり。そう考えると、いろんなことをやらせたほうが成功確率が上がるよね。

親が勝手に決めたりしないほうがいい。好きなことが見つからない子? そんな子も普通だと思いますよ。才能を見つけるのは本当に難しい。簡単なことではないよ(笑)。将来何になりたいかと聞いて、わからないのは普通ですよ」

そして校長は、「今日ね、カメラが好きな子に、ぼくが20年前に初めて買ったデジタル一眼レフをあげる約束をしているの」と見せてくれた。「ちょうどぼくの子供が小学校に入った頃に買ったもの。たくさんの生徒との写真を撮り続けてきたの、このカメラで」。愛おしそうに見るその名機が、若く新たな才能に引き継がれていく。

西郷さんが生徒にプレゼントする一眼レフ

―――4月から校長先生は何をされるのですか。

「これからは夢の年金生活ですよ。ぼくはもともと理工系なので、コンピューターや機械いじりをしたいなという気持ちがあります。でもね、まずはちょっとお休みするの(笑)。この10年間、やり切ったというよりは、『疲れた…』という感じなんだ…」

さぞかし激動の10年間だったのだろう。その言葉の重みにぐっときた。

取材後記③:これからもずっと「伝説の校長」であり続ける

取材が終わって校長室前の廊下に出ると、今年大学に進学する、かつての教え子たちが来ていた。彼らは校長にお別れを言いに来た、とは言わないけれど、きっと誰もの胸の中に、言葉にならない、言葉にできない思いがあるんだと感じられる。

せっかくだから記念写真を撮りましょう、と並んでもらうと「君たちが入学したときはあんなにかわいかったのに、もう大きくなりすぎて、腕も届かないや!」といいながら、背伸びした西郷さんが、成長した教え子の肩に手を回す。とても嬉しそうだ。

背伸びをする西郷さんと卒業生たち

昭和から平成になり、令和になり。時代は変わっているし、子供たちをとりまく環境も大きく変化している。しかし、子供たちはきっといつの時代も変わらず、ひとりの人間としてまず認めてほしいと思っている。「大人が上から指導する」のではなく、生徒ひとりひとりの目の高さまで降りてきて、同じ土壌で話してくれる場所。それを提供できたのが西郷さんの桜丘中学校だったのだ。

すべての基本は人と人との信頼関係。その一番大事なことを、身をもって学ぶことができた子供たちは、とても幸せだっただろう。

取材・文:小澤 彩/編集:下田 和

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