世田谷区桜丘中学校10年間の歩み 〜日本一自由な公立中学をつくった西郷孝彦校長 退任直前インタビュー ②〜

2020年4月8日

(前回からの続き)

個性を受け入れられないのは、学校だけでなく社会の問題

「個性を大事にする教育」はお題目

―――私立でなくて公立中学校で、自由な学校が作ることができた理由は何なのでしょうか。

「それは『インクルーシブ教育*』を目指したおかげだよね。私立中学校にも、厳しい私立、自由な私立、いろいろあるけれど、インクルーシブになっているかというと、そうではない。いろんな障害がある子、個性がある子が平等に、当たり前に過ごせる私立ってそんなにない。本当にないの。」

「学力的には劣っていないのに、個性の強い子があるがまま受け入れられる学校というのは、なかなかないものだよ。これは私立の問題ではなくて、日本の社会全体の問題だと思うんだけどね」

―――しかし、昨今「個性を大事にしよう」という言葉は、声高に叫ばれるようになっているような気もしますが…?

「お題目で個性、個性とは言うけれど、全然認めようとしてはいないですよ。人と違うことを認めないという教育ばかり。ひとつのルールで縛って、人の言うことを聞く子こそが“いい子”という評価を受けるけれど、自分独自の意見を言ったり、個性を持った子はたたかれる教育のままだと思います。社会もそうじゃないですか。それこそピアプレッシャー(仲間からの圧力)ですよ」

*インクルーシブ教育:子供たちひとりひとりが多様であることを認めたうえで、障害のあるなしにかかわらず、誰もが自分に合った配慮を受けながら地域の学校で学べるようにという教育理念のこと。

こうなったら、たくさん目立とう

「ぼくも最初はまわりからよく思われていなかったんです。今でも日本中の学校の教員や管理職から勝手なことをして、と思われていますよ。

意味のない校則で子供たちを縛り付けることなく、個性豊かな子供たちをそのまま受け入れようと、ほかにはない環境づくりをしてきましたが、最初は教育委員会にも、どんな改革をしているかは内緒にしていたんです。

教員と生徒の信頼関係を大切にし、生徒総会で決められたことを学校側もできるだけ実現する。その積み重ねで、学校は変わっていった。子供たちも幸せな学校生活を送っていたし、保護者からの苦情もほとんどなかった。なぜかというと、子供たちがみんな『学校が楽しい』といって帰宅するから。子供たちが学校を批判しないの。もちろん地域からも苦情はありませんでした。」

「2018年の冬のことでした。朝日新聞から、桜丘中学校におけるインクルーシブ教育を取材したいと申し込まれたのです。お受けしたのですが、それがきっかけとなり、桜丘中学校の実際の姿が教育員会に知られるところとなってしまいました。

本来はインクルーシブ教育の取材だったのに、取材後、記事にしてもらったら、タイトルに『校則がない』と書かれてしまって、そればかりが広がってしまった。その直後にぼくは教育委員会から呼び出され、『こんなことやって覚悟はあるのか』と言われたの。それで頭にきて、もうオープンにしてしまおう、と逆に腹がすわったの。それまでは迷惑かけちゃいけないから目立たないようにしていた。でもこうなったら、もっと目立たないとつぶされてしまう。たくさん目立とうと思って、いろいろなところ(メディア)に出ることにしたんです」

―――でも、露出が増えれば賞賛ばかりでなく、否定的な意見も来ませんでしたか?

「それはあるよね。でも、web上の批評は読まないことにしているの。いい評価も悪い評価も一切読まない。見るだけでストレスですから…」 

管理職である校長先生自身も、横並びから卒業してほしい

―――西郷さんと親交の深い、教育ジャーナリストで世田谷区長の保坂展人さんは、桜丘中学校のような学校が区内に増えることを期待しているようにも見えますが、なぜ同じ世田谷区内であっても、そういう学校が増えないのでしょうか。

「それこそ教育委員会や校長会など…区内の学校みんなと一緒のことをやってほしい、という同調圧力のせいですよ。

けむたいんです、ぼくの学校だけが独自のことをやっていると、外から何か言われてしまうから。『なんで桜丘中学校はいいのに、この学校はダメなの?』と、教育委員会に、各学校に保護者からクレームが入るから。だから『桜丘中学校だけ特別なことをされると困る』『全部同じにしてほしい』『公平じゃない』…要するに、統一しようという気持ちが多すぎて、広がりが持てなくなってしまうんですよ。それじゃ、せっかくの校長会だって、どの学校でも同じことをやるにはどうすればいいかということを話し合うだけの、調整機関になってしまう」

個性が強いとたたかれるのは、学校だけでなく日本の社会全体で起きていること。これはまさに西郷さんの実体験からくるものでもあったのだ。

―――それでも、校長がその逆風に立ち向かえたのはなぜでしょうか。

「ぼくの気質かな。戦う気質なんですよ。頭にくるんです、そういうの。だから、大変は大変です。何にもしなければのんびりできたんだろうけど、生来の気質でほっとけないんだよね。目の前にいる子供たち、一人ひとりをほっとけないの。だからしょうがなかった」

取材後記②:子供たちのための学校づくりを考える

目の前の子供たちの笑顔を守ろうと必死になったこのひとりの先生を、誰が批判できるというのだろう。「他校と横並びが一番いい」と思う人が、校長、いわゆる管理職として学校を統括していたら…問題は起きないかもしれないし、普通に地域の学校は運営されるけれど、一体それは誰のための学校づくりなのか。

そして、保護者や地域に住む私たち大人も…「どうしてお宅の学校は、この学校のように子供たちをのびのびと生活させてくれないんですか?」と批判するだけではなく、「子供たちをのびのびとした学校に行かせてあげるために、校長先生も横並びをやめて一歩踏み出す勇気を持ってもらえませんか?」と、広い心で支えようとする度量が必要ではないだろうか。

まずは「校長先生自身が、素の自分を子供たちにさらけ出してもらえませんか? 保護者、地域も一緒になって、より子供たちが通いたくなる中学校に変えていきましょうよ」と言えば…。

子供たちを大事に思ってくれる校長ならば、きっと学校は変えられるし、子供たちも変わる。そして日本の社会も、本当の意味で個性を大事にできる社会に変わっていくはずだ。

取材・文:小澤 彩/編集:下田 和

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