世田谷区桜丘中学校10年間の歩み 〜日本一自由な公立中学をつくった西郷孝彦校長 退任直前インタビュー ①〜

2020年4月8日

この3月で、惜しまれつつ10年間を過ごした中学校を去るひとりの校長がいる。2018年の冬に朝日新聞にその独特な学校方針が取り上げられてからというもの、SNSをはじめ、朝日新聞やYahoo!ニュースといった大手媒体にも取り上げられた、世田谷区立桜丘中学校・西郷孝彦校長先生、その人だ。

「校則がない、制服もない、スマホもタブレットも持ってきてよい」と聞けば、「えっ、それはどんな学校なの?」とみんなが驚く。しかし桜丘中学校を単に「自由な学校」と考えるのは短絡的だ。

「公立中学校に来る子供たちは、さまざまな家庭の子がいます。いろいろな事情を抱えている子ももちろんいます。そんな子供たちひとりひとりにとって、学校が家庭の代わりのような存在になれるように。せめて学校くらいは安心して過ごせる“居場所”にしてあげたいと思ったのです」と西郷さんは語る。

元世田谷区立桜丘中学校校長 西郷孝彦(さいごうたかひこ)さん

1954年、横浜生まれ。
上智大学理工学部を卒業後、都内の養護学校を始め、大田区、品川区、世田谷区で数学と理科の教員、教頭を勤めたのち、2010年に世田谷区立桜丘中学校に就任する。
2020年3月に退任。

校則のない中学校が成功した理由

安心した空間が学力を上げる

―――中学校は義務教育であり、勉強するところである。普通誰もがそう考えると思います。

ぼくの中学校では、勉強をする場所というより、まず環境づくりを大切にしたの。

授業の力量を上げようと躍起になっている学校は多いけれど、その優先順位は高くなくていいと思っていた。むしろ優先すべきは環境づくり。例えば子供に無駄なストレスを与えないこと。ストレスを与えると、暗記力が落ちるじゃないですか。意味のない校則で押さえつけられると、頭のいい子・論理的に考えられる子ほどイライラする。そういうストレスを与えないようにしたの。

そして、先生たちとの人間関係、子供たち同士の人間関係を良好にして、穏やかな雰囲気、夢の中にいるような、何の心配もない安心した空間を作ってあげようと。結果的に、それが学力を上げるんですよね。受験のときも、ほかに悩み事があると勉強に集中できないものですよ」

だから校則がない、制服もない。教師は、子供たちの自主性を重んじて、生徒会で生徒が決めたことを応援しサポートする立場に回って、このような学校が育ってきたのだ。

スマホもタブレットもOKになったきっかけは、「文字が読めないため、授業中に読み上げ機能が付いたタブレットを使いたい」と相談してきた読字障害の生徒の悩みの解消がスタートだったという。単に自由ばかりを生徒に与えわけたことの結果ではないのだ。スマホを持ち込み可にする代わり、ネットの危険性も併せて教えていく、という方針も守られている。

そんな、誰にとっても“居心地がいい”学校づくりに成功し、家を出るときにうっかり「学校に行ってきます」ではなくて、「学校に帰ります」と言ってしまった生徒もいるというほど、生徒からの信頼は厚い。

塾の邪魔をしない

―――公立中学校となれば、進学する場合はもれなく受験もついてきますが、これだけ自由なのに勉強ができる子供が多いのはなぜなのでしょうか。

「実はここは、“塾の邪魔をしない中学校”なんです。まず宿題を出さない。そして部活は週10時間と決めて、水・日はやらない方針にしている。子供たちに余裕を持たせているんです。塾の勉強をしたい子はしていいよ。授業も出たくなければ出なくていいよ。受験目前の3年生が切羽詰まったら授業出ない。それもOKです。帰国子女で英検1級を持っている子が英語の授業にでても仕方ないじゃないですか。そういう子は図書館で勉強しています。つまり、子供たちひとりひとりの状況に学校が合わせてあげる、そういう柔軟性を大切にしたのです」 

「学力、受験学力が役立つかは別として、進学実績を見せないと社会につぶされちゃう。単に勉強のできない、ルーズでダメな変な学校と思われないように気を付けないといけないと思ってます」 

―――実際、目を見張るような結果も出ていますよね。推定偏差値73、都立高校の中でも、学力レベルトップで知られる都立西高等学校になんと11人も合格。同じく偏差値68、難関で知られる都立国際高等学校にも5人…と、これは驚愕の数字です。

「中学受験でも高校受験でも、学校の授業だけで難しい私立や公立校に受かるわけがない。『学校が一番、授業が一番』なんて、ウソ言っちゃいけない! 都立西高校の数学の独自問題なんて、塾に行かないと絶対解けない。国際高校に学校の英語だけで受かるなんて無理。だからその学校に行きたいと思って、塾に行って頑張っている子の邪魔しちゃいけないと思うんです。

受かるのはみんな『塾のおかげ』。だから考えを切り替えて、現実に合わせたような学校づくりをしないと思ってやってきました。ただ子供たちを押さえつけるだけではなく、塾に行っていることは認めて、『じゃあ学校はどうしたらいいか』を考えてきたんです」

西郷さんの口からは「そんなこと言って大丈夫ですか」とこちらが戸惑うほどの言葉が飛び出す。けれどこれが、思春期の子供たちの心をとらえて離さない、西郷さんの人間的な魅力のすべてだったんだと感じさせられる。

校長室の前に置いてある、ペッパーくんとハンモック。ハンモックは西郷さん自らで購入したもの。

取材後記①:誰もがいつでも、話しかけていい校長先生

世田谷というと高級住宅街に見られがちだが、実際この桜丘中学校はいわゆる「世田谷の下町」に位置していて、お祭り好き、喧嘩好き、赴任した時はちょうど学校の建て直し工事中だったこともあり、もともとやんちゃな子供たちがさらに落ち着かなく、代々の校長先生からも苦労していたのだという。押さえつけようとすると反発するし、対教師暴力もあるほど“荒れていた”。

そんな子どもたちと、心の距離を近くして、じっくりと向き合い続けて10年。校長と生徒だけではなく、教師と生徒の距離も驚くほど近くなり、文字通り「家族のような」関係性が培われてきた。

あと数日で任期も終わるという3月末に取材に伺ったが、「今日もこのあと保護者が、そのあとは子供たちが来ることになっていて…」

取材の最中にも校長室のドアが開き、「校長、ちょっとこれ」「校長、すみません」と教員やほかの人もどんどん西郷さんに話しかけてくる。校長室のドアもひっきりなしに開けられて、落ち着く暇もないほどだ。校庭に出ると幼い顔をした中学生が話しかけてくるし、卒業生もやってくるし。みんなが心の中では西郷さんの学校を去る日を惜しんでいるのだろうが、実際はきっと西郷さんの中学校生活最後の日まで、最後の最後まで「あの」「あの」とみんなが話しかけ、西郷さんはそのすべてに気さくに応じるのだろう。

年齢も立場も関係なく、垣根を越えた人間関係。「これは4月から、桜丘中学校にかかわった全員が寂しくなるな」と思わされた瞬間だった。

取材・文:小澤 彩/編集:下田 和

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