若新雄純と考えるゆるいエデュケーション第2回 vol.1 〜「学校」の持つミッション〜

2020年3月30日

(前回からの続き)

「学校」の持つミッション

高校の普通科を見直す国の動き

今、高校の普通科を見直そうっていう動きがあるらしいんですよ。

高校の7割が普通科らしいんですよね。普通科じゃなくてグローバル科とか、多様化する社会に合わせて普通科っていうのを見直した方がいいんじゃないかっていう話が出てきてるらしいんですけど、これはおもしろい話だなと思っていて。

中学校の先生たちと「日本の社会における高校受験って何なんだ」みたいな話をしたんですよ。やっぱ受験において普通科ってすごい重要で、普通科を見直すって国は言ってるんですけど、現場の先生とか、学校は戸惑うんだと思うんです。

「学ぶ」ことと「受験」って必ずしもイコールだとは思わないでしょ。別に楽しく学んでても受験勉強がうまくいくとは限らないじゃないですか。

好きで熱中しても、テストで点を取れない場合もあるし。調べることが好きだったり、受験勉強が苦手な子っていると思うんですよ。そういう場合をどうするかっていうのが、僕の中で1個のテーマがあるんです。

「教育を受ける」ことと「試験を受ける」ことの違い

僕、暗記が超嫌いだったんですよ。暗記頑張ったのは中学校の最初くらいまで。テレビを自分の部屋に置くっていう親への交換条件で暗記を頑張って校内テストで1位をとったのが最後で、もうそれからは全力で暗記はしてない。暗記するのはマジで嫌だったんです。

今の世の中って、勉強イコール暗記じゃないはずなのに、試験ができればすごい勉強できたことになるじゃないですか。

例えば「めちゃめちゃ勉強好きで、めちゃめちゃ勉強してて、すごい勉強充実してたけど、試験は全然ダメ」ってなっても、その子が勉強できる子だとはみんな認定しないと思うんです。逆に言えば、勉強超嫌いで、何も面白くなくて、何も入ってないけど、試験ができた人は世の中的に、勉強ができたことになるじゃないですか。

社会に出たら、受験や進学の結果は見るけど、実際の成績表や勉強の様子がどうだったかっていうのはほとんど問われないですよね。だから「本当の意味で学ぶ」こと、そして「教育を受ける」ことと「試験を受ける」ことは、本質的には違うはずなのに、全ては受験で合格することで結果が見られちゃうと思うんです。

受験に合わない子どもの進路

学校の教育も受験が本当の目的ではなかったはずなのに、受験の結果がすごく重視されてるじゃないですか。もちろん、受験はわかりやすいシステムだとは思いますけどね。ただ、学校の先生が本当の意味で学ぶことよりも、受験に勝つことを重視せざるを得ないシステムはちょっと残念かなと思っていて。

今の受験の制度の中で、ついていけないとか合わないとかうまくいかないなら、新しい学びを模索すればいいと思うんですよ。でも、その時にみんなが選ぶ普通の受験の結果というものとトレードオフになるじゃないですか。それに関して、すごくおもしろい話し合いがあって、中学3年生の子どもを持つお母さんが地元のとある座談会に来てて、そのお母さんは16歳くらいで高校中退か何かして子ども産んでるお母さんだから、高学歴じゃないんですけど、子どもの進路に対してめっちゃ柔軟なお母さんだったんですよ。

それで、子どもが中学校に入って勉強があまり好きではなくて、成績が落ちていったらしいんです。このままだとこれくらいのランクの高校にしかいけないよっていう話になっちゃうじゃないですか。だから受験という基準に落とし込もうとすると、学力は下がって落ちこぼれになると思うんですよね。でも、お母さんが「そんなに受験勉強が嫌なら、もうしないほうがいい」ってなって。

でも中卒でいい時代でもないじゃないですか。お母さんがもっといい方法ないかって調べたら、フィジーに留学できるっていうプランがあって。その子の学力でも、英語さえやっておけばよかったんですよね。それも、受験勉強的に英語ができる状態じゃなくて、現地に行けるように英語を準備しとけっていう話らしいんですよ。

試験もお母さんと並んで受けるらしいんですよ。日本の社会がやってる受験勉強でカンニング禁止で試験監督が見張ってて、ヨーイ、ドン!みたいな感じじゃなくて、本人に学ぶ意欲や素質があるかみたいなことを見る試験があるだけらしいんですよね。それが大阪行けば受けられるっていう。

受験の役割には生徒指導も

この受験の仕方って、日本の高校がやってる受験とは全く違うやり方。それを子どもに話したら「それだったら面白そう。フィジー行きたい」ってなって。英語だけなら頑張れるかなっていって、お母さんはちょうどいい道があったっていって、そっちを選ぶことにしたらしいんですよね。そうすると周りの人は「うまくいくの?」とか、今までの価値観だと学校の先生とかは「受験から逃げた」とか言うじゃないですか。

なので、その時に学校の先生や周りの人が、なんで「勉強から逃げた」っていうのかを中学の先生と話ししてたんですよね。勉強会には地元の進学校を出て、京大卒のめちゃエリートのな中学校の先生が来てて、すごい本質的なことおっしゃってて。

なんで、受験はイレギュラーなものを認めてなくて、みんな同じ形で受験して、海外の高校を受けるってなると、それは逃げだとかって言ってしまうのかっていう話を聞いたら、受験は生徒指導・生活指導とすごく紐づいてるらしくて。

何かっていうと、学校は勉強だけじゃなくて生活指導もしないといけないんですよ。つまり、学力を上げることだけじゃなくて、ルール通りに生活するとか、規則を破らないようにしようとか、いわゆる生徒指導で大事なのが、学校という仕組みの管理をぶち破って、無秩序にならないように、教育機関として統率取りたいわけですよ。この時に子どもたちに対して昔みたいに殴ったりできないじゃないですか。

じゃあ学校は何を持って子どもたちに対して制限を加えたりとか、管理してるかっていうと「こういう風にしてないと、ここの高校にはいけないぞ」って言う。つまり、受験に勝ち残って生き残るために、こうしなさいって言うのが、唯一学校に残された、子どもたちを管理する強制力を発揮できる手段らしいんですね。

もう1ついうと、だから「普通科」っていうのがなくなったら困るんですって。なぜかっていうと、普通科を受験する時に、科目がいっぱいあるじゃないですか。つまり、みんなが理想としている進学校の普通科を目指して受験を突破するには、全部の授業をまんべんなく出て、バランスよく授業を受けないといけないわけですよ。もちろん、スポーツ推薦が来るっていう子は除いて。基本は全部まんべんなくやろうと。

ここに学校の先生としては、今までとは違うイレギュラーものが進路として現れてしまうと、「これやらなくてもこういう方法があるじゃないですか」とか「こういうこともできるじゃないですか」っていうのができちゃうと、生徒に対して「〇〇高校の普通科に行けるように頑張ろうね」みたいな正しさによって管理する手法が有効じゃなくなる。

だから生徒指導がやりにくくなっちゃうらしいんですよね。フィジーの高校を受けるっていうようなイレギュラーな方法をとっても、学校の先生は禁止するわけじゃないけど、応援してくれるわけでもないんですよ。

応援できない理由は、学校としては、そういう別の選択肢もあるっていう風になってしまうと「俺フィジーの高校行くからこの授業受けなくていいや」とか、秩序が保てなくなるんじゃないかっていう不安があるんじゃないか、と。

今高校進学率って98%とかなんで、いい高校に行きたいっていうのは誰でもあるじゃないですか。だから「普通のいい高校」に行けないぞ! っていうのが唯一の思春期のやつらを管理する殺し文句なのかもしれませんね。

学校は例外を認めない

その子がフィジーに行ったら、多分帰国子女枠とかで、日本のいい大学とか入れる可能性もある。だから勉強をいやいややったやつよりも、結果的にいい大学に行ったりしますって言って。

「そうかな。そうだといいけどなあ」ってお母さんが言って「絶対そうなります」って話をしたら、先生は「だとしても、学校としては、それが学校で語り継がれることはないだろう」って言ってたんですよ。つまり、1つの進路の成功事例としてはなかったことになると。

学校としては、黙殺。そのあと、勉強が苦手だって言う子に「お前海外の高校に行ったらいいんじゃないの?」とか進路指導されるかっていうと、なかなかされないだろうと。

それをOKにしちゃうと、みんなが目指すべきわかりやすい「正しさ」に向けて、勉強して行くっていうことを管理できなくなるから。だからみんな自分の子どもには自分の子どもにあった学びのやり方とかはあっていいんじゃないかっていう風に考えると思うんですけど、学校の先生は多分応援してくれないんですよ。

でも、生徒指導って言っても、昔に比べて、非行に走る子が減ってきてると。でも、学校の先生の使命としては大きく2つで進路指導と生活指導。この2つが大事な仕事らしい。

多分それが私立の超進学校とかになってくると、逆にあんまり生活指導とかに力入れない学校もあるじゃないですか。服装なんでもいいし、ピアスだろうが、金髪だろうがどうぞー勝手に勉強してねーみたいな。だけど多くの公立の高校っていうのはそうはいかないと。

日本の進学校って都市圏以外はほとんど公立だし。幅広く集めてきて、思春期のあれもこれもって興味が湧く中で、変なことやっちゃわないようにとか、非社会的な行動を取らないようにとか、社会から激しくずれたり、激しく落ちこぼれをつくらないようにしようっていうのが学校の先生のミッションなんでしょうね。

若新 雄純(わかしん ゆうじゅん)

福井県若狭町生まれ。株式会社NEWYOUTH代表取締役、慶應義塾大学特任准教授などを務めるプロデューサー。
慶應義塾大学大学院修了、修士(政策・メディア)。専門はコミュニケーション論。全国の企業・自治体・学校などと実験的な政策やプロジェクトを多数企画・実施中。

全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを楽しむ「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円「ゆるい就職」、目的のいらない体験移住事業「ゆるい移住」などをプロデュース。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。

http://wakashin.com/

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