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若新雄純と考えるゆるいエデュケーション第3回 vol.3 〜ゆるいエデュケーションとブロック遊び〜

若新雄純と考えるゆるいエデュケーション第3回 vol.3 〜ゆるいエデュケーションとブロック遊び〜

若新雄純の答えのないブロック遊び

僕は田舎の学校に通ってて、わがままな子でした。それでも、狭い田舎の社会の中で、他者比較とか他者評価を気にして生きてきました。一方で、自己評価は自己評価でしたい人だったと思うんです。小さい頃にすごいよかったのは、ブロックが好きで、めちゃめちゃいろいろつくってたんですよ。

レゴほど細かくないんですけど、いろんな形があってなんでも組み合わせることができるブロックだったんですね。そういう積み木とかブロックとか家にあってめっちゃ好きだったんですよ。

宿題とかだったら「もっとこうしなさい」とか親に言われてたんですけど、ブロックで遊んでる時って何も言ってこないんですよ。だから、俺の中で自分の納得するところみたいなのがめっちゃあって。自分のつくった形で自分が納得するかどうかっていうのをずっとやってましたね。

ブロック遊びってある程度ブロックつくろうって意欲がなかったり、つくりたいなって思わなきゃ始まらないじゃないですか。親に、今からブロックやれ!とかは別に言われない。大げさにいうと、好きだから、なんとなくロボットとか秘密基地とかをブロックでつくってたわけですよ。

今回の実験の自撮りビデオがいいのは、どんな子どもでも撮ったら自分が写ってるっていう作品が瞬間に出来上がるじゃないですか。だから、楽だなって思ってるんですよね。自撮り動画じゃなくても、自分のアウトプットと自分が対話することは可能だと思うんですけど、意欲が高まるかどうか分からない。

ゆるいエデュケーション的に、小学校で自分の動画を撮ることとかと僕のブロックの一緒のところは、答えがないっていうところですね。全部が自由なんです。あとは、自分の納得点とかを考えながら、やりなおしながらつくるとか。決まった答えに向かって進んでるかとかじゃなくて、今回こっちにこうしようかな、とかっていうことですよね。

他には自分のモノサシをつくるところとかも同じですね。自分なりの創作意欲、自分の基準設定をするみたいな。自分でつくりたいものをつくったり、自分で決めて自分で進めて自分で評価する。それで「俺こんなもんできた」みたいなことです。答えのないブロックで遊ぶことで、自分のモノサシを作って自分で評価していましたね。

第4回に続く)

「試行錯誤」という最短ルート

文:佐藤 みちたけ